『諸君!』平成11年12月号の「三島事件」アンケートの続き。
田中角栄元首相の秘書だった政治評論家の早坂茂氏。「(事件当時)4期目の自民党幹事長に留任した田中角栄の政務・政策秘書だった。
…事件知ったのは、衆議院2階の自民党幹事長室である。
角栄が『バカもん』と呟(つぶや)いた。
…予言者は世に容(い)れられず。
…お仕着せ憲法の見直しは行方(ゆくえ)定めぬ波枕。
平和ボケの世間は事件を忘れた」元安藤組の組員で、作家だった安部譲二氏。
「三島由紀夫先生は楯の会の軍資金を捻出なさる為に、僕をモデルにした
『複雑な彼』という小説を女性週刊誌に連載なさったこともあって、
お親しく願っていたのです。
その(事件の)前の晩に、呑(の)んでいらした六本木のミスティーから
電話を下さって、『この店にある僕のボトルは、貴君に進呈するから呑んでくれ…』
と突然おっしゃったので、どこかへ長い御旅行にでもおいでになるのかと、
ちょっと怪訝(けげん)に思っていたのですが、真逆(まさか)、
御自分の主義主張を、自在に発表なされる三島由紀夫先生がこんなことをなさるとは、
その当時はゴロツキだった僕にも、とても想像のつくようなことではありません」文芸評論家の入江隆則氏。
「私は、三島由紀夫は共同体の魂を呼び戻し、あるべき姿の天皇を召喚するために、
彼の『私的な死』を『使った』のであって、その意味で『死による自己の社会化』
を果たしたのだという見方を示しました。
そして深い敬意を表明しました。
…以来ずっと、この見方と敬意とに変わりはありません」作詞家で作家のなかにし礼氏。
「絶えず真剣に生きることを望み、『にせものの平和、にせものの安息』
(『白蟻の巣』)を軽蔑する姿勢は、今となってみれば、だらだらと
生きるわれわれへの痛烈な批判となっている。
現代の日本人のありようを予見していた天才だったと思う」安倍内閣で内閣官房副長官(事務担当)だった的場順三氏。
「最近私にも、あの事件の本質には、次のような背景があったに
違いないことが、わかるようになった。
すなわち、三島氏が、当時『日本はグリーンスネーク(ドル紙幣)
に呪われている。』と、よく周辺にもらされており、つまりは祖国の将来に、
明るい展望が持てなかったのではないかということである」評論家の西尾幹二氏。
「自宅にいてニュースを聴いた。
脚がふるえた。腰から下がしばらく動かなかった。
恐怖ゆえであった。
他人(ひと)ごとではなかったからだ。
私は自分が問われたと思った。
…三島事件は日本史の分水嶺(ぶんすいれい)をなす象徴的事件である。
事件の前と後とで、くっきりと時代が2つに分れる。
戦争は分岐点にならない。
精神の型のあった時代、マスコミがまだ小さく、
言葉と人格の一致が見えた時代――そういう時代が三島氏の死と共に去った。
なぜ彼が自決したかという答えもここに含まれている」【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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